アートは
あーとからついて来る。
みんな絵を描けばいい。
誰でもアーティストになれるんだ!
1955年、福井県三国町生まれ。
股関節脱臼、乳児期にポリオに感染。
発語しにくく、手・足が不自由に。いわゆる小児まひである。
高校生の頃から車椅子に乗ってスーイスイ。
20歳の頃、三国町で高校の美術教師をしていた小野忠弘氏が、
吉田の描いたクレヨン画を目にすることがあり、吉田に会いに行き絵を描く事を勧めた。
小学生のころから将来は詩人になりたかった吉田は、思いもしなかった絵やオブジェを五十代半ばまで旺盛かつ気楽に製作。
愛ネコに遊ばれながらー。
各地で観ていただく機会が与えられた。(福井、名古屋、真田、新潟、東京、金沢、グラスゴー)
晩年は身体が動き辛くなると絵はおしまいにし、ライフワークの物書きに缶詰状態で励んだ。
2016年11月、『ぼく、サナギになるから』と云い往っちゃった。
今頃は故郷の九頭竜川の河口辺りで自由の身になったヨーヨー河童が遊んでいるにちがいない。
ほら!あそこ!ナンかヘンなものが・・・オルやん・・・(よしだかずみ)
1955年(昭和30年)
福井県坂井市三国町に生まれる
幼い頃のポリオウイルス感染による小児麻痺で身体が不自由になる
小学生の頃より詩人になることを夢みて詩を書き始め、福井養護学校中等部・三国高等学校夜間部時代を通じて詩を書く
1975年(昭和50年)
小野忠弘に絵を描くことを勧められ、以後師事する
1976年(昭和51年)
福井県立三国高等学校夜間部を卒業する
1985年(昭和60年)
個展(スペースB、福井市)
「中日美術展」入選
1987年(昭和62年)
「美浜美術展」に《銀色メンデス》出品、準大賞受賞
1988年(昭和63年)
個展「《フォクシーレディ》シリーズ」(アートハウスギャラリー、福井市)
1989年(平成元年)
個展「《エキストラ・ピープル》シリーズ」(アートハウスギャラリー、福井市)
1990年(平成2年)
「パッション 〜画家 吉田洋三の世界〜」(NHK総合テレビ)放映
個展「《ローズ婦人とグラブ》シリーズ」(アートハウスギャラリー、福井市)
1991年(平成3年)
<物体>詩 -思考するオブジェからGOMI・ARTへ-」展(板橋区立美術館、東京)に《センスある犬》出品
個展「《ホノ・モノマ》シリーズ」(アートハウスギャラリー、福井市)
「ギャラリーボックスオブジェ展『吉田ヨーゾーの表現』」に《サイコ テラ》等出品(福井駅前シンボルロード、福井市)
(〜1992年)
吉田ヨーゾーに改名する
1992年(平成4年)
「国際アートフェア『東京アートエキスポ92』」に出品
個展「《ヒポコン・テンプ》シリーズ」(アートハウスギャラリー、福井市)
「美浜美術展」に《モノ・マ・フォーク》出品
1993年(平成5年)
個展「《ネムロ・マンチ》シリーズ」(アートハウスギャラリー、福井市)
1994年(平成6年)
個展「《マチュール・ゲロス》シリーズ」(アートハウスギャラリー、福井市)
個展「アートボックス」(名古屋画廊、名古屋市)
北陸自動車道徳光PA「車遊館」の壁画を制作する
1995年(平成7年)
「吉田ヨーゾーのドローイング展」(アートハウスギャラリー、福井市)
個展「《AKA》シリーズ」(アートハウスギャラリー、福井市)
1996年(平成8年)
個展(アートハウスギャラリー、福井市)
藤井康広氏の書籍4冊の表紙・挿絵を担当する(〜1998年)
老人保健施設「東尋坊ひまわりの丘」・社会福祉施設「ハスの実の家」で絵画指導を行う
あわら市に移住する
1997年(平成9年)
「吉田ヨーゾーおどる絵画展」(東尋坊ロイヤルハイツ、坂井市)